免疫学における日本の貢献

  • 免疫学における日本の貢献 ~日本免疫学会50年

 2019年12月、中国・武漢市で未知のウイルスによる新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が発生、一気に世界に広がった。変異型ウイルスの出現により2021年1月26日には世界の感染者数1億人を超え、死者も215万人にのぼった(米ジョンズ・ホプキンス大集計)。ワクチン接種が世界で実施されるが、1ヶ月に2個以上の変異を起こすウイルスに対して、いったいいつ終息になるか見通せない。COVID-19 は、「感染症が終わった」とおごる人類への挑戦状であり、改めて感染症の怖さを見せつけた。新型コロナウイルス感染者の8割は無症状か軽症でスプレッダーになり感染を広げていること、高齢者や基礎疾患がある人は重症化しやすく、サイトカインストームによって急激に悪化すること、かなりの確率で心筋炎などの後遺症が発症する事などが分かってきた。感染症克服のために、免疫学の重要性が改めて再確認されている。

 こうした状況の中で、日本免疫学会が創立50周年を迎えた。発足時から世界に貢献する日本免疫学会の歩みを簡単に振り返る。

 病原体が引き起こす感染症は、記録に残るものとして東ローマ帝国時代のペストがある。病原体から回復した患者は、同じ病原体に対する抵抗性を持つというのが「免疫」だ。18世紀末のジェンナーの牛痘接種による天然痘予防を経て、19世紀末にフランスの微生物学者ルイ・パスツールは、「二度なし現象」と免疫の概念を提唱し、科学的な研究が本格化した。

 1890年に北里柴三郎とフォン・ベーリングは、ジフテリア、破傷風菌の抗毒素が免疫した動物の血清中にあることを発見し、抗体が免疫の本体であることを示し、初期の免疫学発展に寄与した。

 1960年代に入ると、免疫を担う主役としてT細胞(リンパ球)、B細胞(リンパ球)が発見され、細胞免疫学の時代に突入するが、免疫化学の時代の終わりを飾るように、1966年に、当時、米国コロラド州デンバー小児喘息研究所の石坂公成・照子夫妻が、免疫の負の側面であるアレルギーを起こす原因となるIgE抗体を発見。今日につながる「免疫学日本」の礎を築いた。

 日本でも、大阪大、京都大を中心に1967年に「免疫化学研究会」と「免疫生物学研究会」が発足。国際免疫学会連合(IUIS)による第1回国際免疫学会議が1971年に米国ワシントンDCで開催されるのに合わせ、2つの研究会合同の第4回シンポジウムが行われた1970年末に、全国組織の「日本免疫学会」が誕生し、初代会長に山村雄一・大阪大教授(当時)が就任した。日本免疫学会は早速、IUISに正式加盟し、ワシントンDCには多くの日本人研究者が参加した。中には、背中を貸して、石坂夫妻のIgE抗体発見に貢献した多田富雄・千葉大助手(当時)もいて、T細胞の中に免疫抑制を担う「サプレッサーT細胞」が存在することを発表した。

 1970年代に入ると、分子生物学が進展し、遺伝子の解析が始まった。そこから80年代、90年代にかけては「自己」「非自己」を区別する分子にはどんなものがあるか、識別した相手にどう反応していくのか、その著しい多様性を作り出している仕組みは何かなどが、次々に解明され、教科書が追い付けないほどの生物学的発見に支えられた「免疫学の黄金時代」を迎える。

 その代表が、抗体多様性を生み出す遺伝子再構成の仕組みを解明したマサチューセッツ工科大学の利根川進教授(当時スイス・バーゼル免疫学研究所)であり、1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 日本免疫学会も急速に拡大していった。1983年には、第5回国際免疫学会を日本免疫学会が主催、世界から4000人を超える研究者が京都に集結。T細胞抗原受容体の発見など多数の画期的な成果が発表された。山村会長は国際化を進め、国交間もない中国などとも交流も促進し、国際学会でプログラム委員長を務めた多田富雄の発案で、1989年日本発の国際ジャーナル「International Immunology」を発刊した。編集長には、初代の多田富雄をはじめ、2002年から岸本忠三、2017年から審良静男が引き継ぐ。

 多田富雄は1992年にIUISの副会長、1995年から4年間会長に就任。1997年には笹月健彦がアジア・オセアニア免疫学会連合会の会長を務めるなど日本は、指導的な立場で世界の免疫学をけん引した。

 2010年にも第14回国際免疫学会が神戸で開かれ、岸本忠三会長、審良静男プログラム委員長、宮坂昌之事務局長のもとで世界から6000人が参加し、日本人研究者も活発に発表、層の厚さを示した。

 実際、これまでの日本人の研究成果は括目に値する。

 利根川・穂積信道の抗体の再構成機序(PNAS、1976)に続き、北村幸彦らのマスト細胞分化(JEM 1985)、松島綱治・吉村禎造らの好中球遊走因子・IL-8/CXCL8(PNAS 1987, J. Immunol. 1987), 高津聖志らのTGFb+IL-5によるIgA産生(JEM 1989)、谷口克らのNKT細胞(PNAS 1986, 1990)、真貝洋一・小安重夫・中山敬一らの機能的TCR遺伝子導入によるT細胞分化(Science 1993)、坂口志文・堀昌平らの自己免疫寛容機序・制御性T細胞(J. Immunol. 1995, Science 2003)、審良静男らのTLR機能(J. Immunol. 1999)、本庶佑らのRNA editing enzyme, AID(activation-induced cytidine deaminase)による抗体クラススイッチ・高親和性獲得機序(Cell 2000)の発見など、日本人の免疫学への貢献は世界でも群を抜く。その卓越した成果は、米国免疫学会から「免疫学の金字塔(Pillars of Immunology)」に選ばれている。

 本庶佑らのPD-1の発見は2014年のチェックポイント阻害剤抗PD-1抗体(オプジーボ)認可につながり、本庶は2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 ほかにノーベル賞級の成果は少なくない。インターロイキン6(IL-6)の発見、抗IL-6抗体が関節リウマチの治療に有効であることを突き止めた岸本忠三、平野俊夫には、2009年スウェーデン王立科学アカデミーが設立したクラフォード賞、2011年には日本国際賞が贈られている。抗IL-6抗体の抗体医薬は、「アクテムラ」として2008年に関節リウマチ治療薬として認可されたが、このアクテムラが新型コロナウイルス感染によるサイトカインストームによる重症化を軽減することがわかり、注目されている。同様に、制御性T細胞の発見、その分化にはFoxp3誘導が重要であることを解明した坂口志文にも、2017年クラフォード賞が贈られている。

 こうした免疫学分野で世界的な研究成果が相次ぐ背景には、大阪大、京都大、千葉大、東大、熊本大など各大学に免疫関連研究室の新設や既存講座の改組が行われ、研究のすそ野が広がったことがある。

 さらに、日本免疫学会が中心となって進めた若手育成プログラム、一般向けアウトリーチ活動がある。第10代日本免疫学会会長に就任した谷口克は1998年に若手研究者育成を目指し、免疫サマースクールプログラムを設立した。  第15代理事長の宮坂昌之は、子供や一般向け広報活動の一環として、免疫を体感、体験させるような「免疫ふしぎ未来」を、2007年5月に東京台場の日本科学未来館で2日間開催、好評を得た。その後も各地で続いている。

 新型コロナ禍の中で開かれた2020年12月の第49回日本免疫学会は、初のWEB開催となったが、ワクチン、治療薬開発につながる新型コロナウイルス関連の重要な成果が相次いだ。人類の英知を集めて、新型コロナウイルスに対峙する現在、免疫学の役割をますます大きくなっている。それをけん引する日本免疫学会への期待も高まっている。

(敬称略)

 

科学ジャーナリスト 玉村治